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7基の御車山の各部の紹介 鉾留・本座・幔幕
御車山の姿この「御車山各部の名称」の画像は、祭当日に高岡駅
で入手した祭案内のリーフレットに掲載されております
ものを、そのままコビーしました。画像をクリックしますと、
拡大します。

7基の御車山のうち、二番町の車輪が二輪であることを除けば7基とも酷似した形式です。御車山は構造的に見ると、地山(じやま)と飾り山(かざりやま)に区分できます。高欄から上の部分が飾り山です。通町以外の御車山には飾り山の背から、後へ突き出るように造花の枝桜を取りつけております。この絵は通町ですので花の枝がありません。飾り山の中央に心柱が立ち、その最上部には鉾留が載る。鉾留を見れば、何町の山であるかが、直ぐに分かる。飾り山の中心位置を本座と呼び、大型の人形が安置される(二番町は人形ではありません)。車輪の上のお囃子衆の入るところを地山箱と呼ぶ。周囲を幔幕で囲ってあります。幔幕、心柱の柱巻、町名の示す標旗、人形の衣装などは、綴れ織り、金襴、緞子、綾織、刺繍などが贅沢に使われている。

御車山の特徴を現わす「鉾留」、「本座」、「幔幕」の画像を、各御車山別にご紹介します。尚、画像に添えました解説は、冊子「高岡御車山」を参照して、記述したものですので、ご承知下さい。


通 町  とおりまち

鉾留の画像をクリックして、御車山の拡大画像をご覧下さい。

鉾 留

心柱の最上部には金色に輝く「鳥兜(とりかぶと)の鉾留が載る。天保4(1833)年に作られたものを模して、昭和5年に復元新調されたもの。

本 座

人形は「布袋和尚(ほていおしょう)」で、上段
に据えられている。下段には相座として五人の「唐子(からこ)」が置かれ、回転棒を握った中央の唐子は、巧妙なでんぐり返しをおこなうカラクリ人形となっている。

幔 幕

白羅紗地(しろらしゃじ)に金糸で剣梅鉢紋(けんうめはちもん=藩主前田家の家紋)を刺繍した幔幕。
幔幕には古い時代に使っていたもの(古幕)、最近まで使っていたもの(前幕)、前幕が痛んだので復元新調したもの(現幕)の三種類があり、古幕、前幕も、各山町で大切に保管されおります。


 御馬出町 おんまだしまち

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鉾 留

鉾留は「胡簗(やなぐい)に弓矢」。やなぐいとは、携帯型の矢を入れる容器。

本 座

能樂「鉢木(はちのき)」に、ちなんだ「佐野源左衛門」と、その前に松と梅の鉢と木を置く。

本座を中心とする飾り山を囲む高欄は、黒呂色塗り仕上げに桜・梅・松葉模様の金具を飾り、他の御車山高欄が中国的手法で作られているのに比べ、御馬出町のそれは大和絵を思わせる、風格のある高欄です。

堆朱・堆黒一般的に漆工芸は「彫漆(ちょうしつ)」と呼ばれる。陶器、金属又は木地に厚く漆を塗り重ねて、その上に彫刻を施す技法を指す。朱漆を百回程塗り重ねる堆朱(ついしゅ)、黒漆を塗り重ねる堆黒などが代表的な技法。

幔 幕

藍地に「三獣唐子遊模様(さんじゅうからこあそび
もよう)」を織り出した綴織の逸品です。御車山の「幔幕」の中では、一番の優れものと評価されております。


 守山町

もりやままち

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鉾 留

鉾留は[五鈷令(ごこれい)」。金箔押し仕上げの秀作
である。

本 座

右手に釣り竿を持ち、左に大鯛を抱えた「恵比須」
を飾り、相座はない。

高欄は、黒呂色塗り仕上げで、麒麟、鳳凰などの
彫刻金具が貼られる。高欄腰板には金箔地に燕や
極彩色の波涛が描かれている。

幔 幕

暈繝(うんげん)模様の刺繍の幔幕。動的に鋭い覇
気が伺える優品。前幕は宝暦年間(1751〜1763)
に製作、現幕は昭和55年復元新調。


 木舟町 きふねまち

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鉾 留

鉾留は、羽根を広げた「胡蝶」で、辻丹甫の構想より飯野仁兵衛が明和元年(1764)に作ったという。

大羽根二枚と小羽根二枚を持つ胡蝶。胡蝶は桐材の張り合わせを彫刻して、布着せ、漆塗り、金箔押しした後、仕上げに生漆の拭き漆に
よって金箔を固めている。羽根には補強のために
帯鉄板が埋め込まれている。羽根の模様部分と目には黒漆塗りが施されている(蝶の胴体が画像では花に隠れて見えない)。冊子「高岡御車山」の中の"御車山の工芸"より、抜粋しました。

本 座

本座は「大黒天」で、頭巾を被り、右手に打ち出
の小槌、左手に袋を持ち、両脇に米俵が置かれている。相座は、からくりで太鼓を打つ「唐子」である。ともに宝暦年間(1751〜63)の辻丹甫の作品である。どの人形の表現も厳しさの中に柔和さを浮かべており、作者の非凡な力量がうかがえる。

漆の塗ってない木地に先に彫刻をして、その後に漆作業を行う漆工を、堆朱、堆黒と区別して、擬堆朱、擬堆黒と呼ぶ。擬堆黒(ぎついこく)の高欄は、辻丹甫の作と伝えられ、腰板に山水模様を描き、七宝製の擬宝珠を飾る。高欄の彫刻・塗りとも江戸時代の技術の最高水準を示しており、高岡彫刻漆器
の最高峰とも云えるのである。

冊子「高岡御車山」は、木舟町を次ぎのように紹介してます。木舟町は、高岡築城に際して、旧木舟城下(福岡町木舟)から移住した人々により作られた町である。
町割に際して、割り当てられたなかで、最上の地を選んだけあって、守山町・木舟町・小馬出町と続く旧北陸道に面する三ケ町は「通筋(とおりすじ)」と呼ばれ、開町以来近年に至るまで高岡の中心地であった。木舟町御車山も、このような町内の由緒にふさわしい華麗なもので、飾り山の細部に至るまで名工の手による工芸品で飾られている。

御車山の装飾に使われる美術工芸品としての漆工品が大量に出現したのは、宝暦・明和年代以降である。辻丹甫は、高岡漆器の祖と云われ、明和年代(1764〜71)に京都から擬堆朱(ぎついしゅ)や存星(ぞんせい)などの技法を伝えたと云われる。
御車山においては、木舟町の大黒天・唐子人形などが辻丹甫の作と伝えられ、彫刻と漆芸にそれまでの職人には見られない非凡な技の冴えをみせている。

幔 幕

現在の幔幕は、朱地の綴織に金糸、銀糸で宝珠模
様を刺繍したもので、昭和7年に京都で買い求めたものである。前幕は、緋羅紗地に金糸、銀糸で宝珠模様を刺繍したもので、宵祭の時には山宿前
で地山に取り付けられ展示されている。
以上、本座及び幔幕の解説は、冊子「高岡御車山の中の"木舟町御車山の解説"より抜粋しました。


 小馬出町

こんまだしまち

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小馬出町の御車山は、能樂の謡曲「猩々(しょう
じょう)」を根拠とし、商売繁盛の象徴として
「猩々」の像を本座に置いている。

鉾 留

鉾留は「太鼓に鶏」で、猩々の謡曲にちなみ、猩々からいくら汲み出しても尽きることのない酒壷を貰った唐土の孝子高風が、鶏の鬨の声や太鼓の音によって、夢から覚めた、という故事を表すという。宝暦3年(1753)辻丹甫の作であると伝えられる。冊子「高岡御車山の中の"小馬出町御車山
の解説"より抜粋しました。

関東の「太鼓に鶏」は、"諫鼓鶏(かんこどり)">徳川2代将軍秀忠の時代の元和元年(1615)、山王権現祭の祭礼行列が、初めて江戸城内に入り、将軍上覧の際、大伝馬町の山車人形が「太鼓と鶏」であった。これを見た秀忠は「諌鼓苔深うして鳥驚かず」という、君主の失政をいさめるために鳴らされる太鼓が、ついに一度も叩かれることがなかったとの中国の故事に重ねて、いたく歓び、此の山車をもって末代にいたるまで一番に渡せよ、と命じたと伝えられる。「諌鼓苔むす」とは太平と善政の続くことをいい、そのシンボルとしての諌鼓(いましめの太鼓)と鶏とをかたどった大伝馬町の山車は、その後、山車隊列巡行に際し常に先頭の一番を飾った。
同じ「太鼓に鶏」であっても、関東と関西では出典の違いで意味が違うことと、鶏の容姿の違いがあります。関西の鶏は翼を閉じてますが、関東の鶏は翼を拡げてます。

本 座

猩々は能面を被り、右手に扇子をかざした立ち
舞の姿である。相座は、からくりにより首を左右に
振り、太鼓を叩く「猿」である。高欄は、柱が朱溜塗り、鏡板(かがみいた)が"うるみ塗り"(漆の色の一種、仕上げの黒漆に朱の色を混ぜて作った赤っぽい茶色の漆で仕上げる塗り方)でわずかに色調を異にしている。

幔 幕

幔幕は「春秋舞楽の図」の綴織で、昭和56年に復元新調された。前幕は明治37年(1904)に京都で製作された。古幕もある。古幕は五種の裂(きれ)を交互に十枚繋ぎ合わせたものである。緋羅紗地の毛氈(もうせん)は、中央の十字架部分に白の綴織裂を置き、その四隅に菊唐草文麻糸レースを配し、天地には唐花文刺繍がなされており、一見キリスタンの十字架を連想させる。(管理者の勝手な推測:高岡城築城の際に、その設計に前田利長の庇護を受けていた高山右近が深く係わったいたことに関係するか?)以上、本座及び幔幕の解説は、冊子「高岡御車山の中の"小馬出町御車山の解説"より抜粋しました。


一番街通 いちばんまちどおり

鉾留の画像をクリックして、御車山の拡大画像ご覧下さい。

高岡訪問で最初に見かけた御車山は一番街通であった。高岡駅で手に入れた祭リーフレッ
トの各御車山の一覧画像のなかで、釣鐘を掲げるのは一番街通となっていた。町の名前がないのに気付いて、理由を尋ねて、一番町、三番町と源平町の三町の共有の御車山であることを知りました。

鉾 留

本座の一番街通の人形は謡曲、高砂の尉(じょう)と姥(うば)の老夫婦と、高砂の松で有名な兵庫県加古川市の尾上神社に伝わる朝鮮伝来の釣鐘を模したと言われる木製、金張りの鐘。

本 座

2体の人形が飾り山に載せられる。高砂の松を掃
き浄める老夫婦の尉(じょう)と姥(うば)である。尉は熊手を肩にし、左手に扇を持つ。姥は左手に竹箒を持つ。前面に「相生の松」が飾られ、能の高砂の場を現わした吉祥的なもの。

幔 幕

一番街通の幔幕は、祭リーフレットや冊子「高岡
御車山」に載ってます解説によりますと、「朱地
綴織剣梅鉢紋本金糸刺繍・しゅちつづれおりけんうめはちほんきんしししゅう」と、なってます。専門的なことはわかりませんが、綴れ織りとは下絵に添って、一本々横糸を選んで織る手間の掛る錦織。剣梅鉢紋は高岡藩主であった前田家の家紋。


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 ニ番町  

にばんまち

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冊子「高岡御車山」は、その中の"二番町御車山の解説"で、次ぎの様に紹介しております。

二番町御車山は、地山及び飾り山とも他の6基の御車山とは違った趣を呈し、格別の由緒を感じさせる。他の6基が全て4輪であるのに対して、二番町だけが2輪である。特に、独鈷(とっこ)の剣梅鉢の金具や、車輪全体を飾る桐、菊、剣梅鉢及び装飾された竜の金具は、精緻かつ気品にあふれたもので、御車山の金工品では白眉と云われている。

鉾 留

鉾留は「桐」で、六本の花枝が空高く聳え、三枚の桐葉が大きく据えられている。

本 座

他の6基の御車山に見られる本座人形は二番町にはなく、守護神は熊野権現である。相座部分に熊野神社を表す鳥居が置かれる。朱塗り一部金箔押し仕上げで、「宝庫」の金文字の扁額を掲げる。鳥居の笠木の両端に二羽のカラスが止っている。社殿にあたるところには、金箔押し仕上げの千枚分銅(せんまいふんどう)を飾る。

飾り山の周囲は朱塗りの高欄を巡らし、後塀には金箔地に高肉彫りの唐獅子を飾る。冊子「高岡御車山」の中の"二番町御車山の解説"より。

幔 幕

幔幕部分は他の御車山と異なり、地山装飾として黒呂色仕上げの「唐垣」が地幕の上に取り付けられている。地幕は緋羅紗地で、前後に金糸で剣梅鉢紋の刺繍を施し、両側面には金箔押しの菊と桐の紋章を飾る。

独鈷(とっこ)の剣梅鉢の金具や、車輪全体を飾る桐、菊、剣梅鉢及び装飾された竜の金具は、精緻かつ気品にあふれたもので、御車山の金工品では白眉と云われている。車輪直径2.05m


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